
ジャン・ストラの腹心にしてヨハルの父親。
当主の軟禁後はストラ一門の騎士をまとめて法王勅命軍に参陣する。表向きは教会への恭順を示してストラ家の存続を願ったが、真の狙いは主家の嫡子ガルンと勅命軍を率いるラマール・クランドを和解させた上で、反法王を旗印に揚げた軍勢を作ることにあった。教務団総管区長リクド・カランダル、教会の知恵袋ドワルド・ボル・エドン、教会の金庫番ミシャーギ・センザンなど八聖家の反法王派三名の内諾を得た上での決起だった。
また事前に南部域の心ある騎士に檄を飛ばしてクランド=ストラ連合軍の戦力増強を図った他、法王派と目される操兵鍛冶匠合総代のユジック・ゴウランとも交渉し、赤龍との戦で傷ついた操兵の修理を頼んでいる。もっとも赤龍戦でイハルは戦死し、すべてを見届けることはできずに終わった。